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弁政連とは

弁理士政治連盟(弁政連)の創設から今日まで

(昭和49年11月29日作成)

【創設の背景】

 弁理士は、明治32年(1899年)の「特許代理業者登録規則」によって誕生し、爾来、大正10年法をはじめ数度の改正を重ね、昭和35年の改正で今日の弁理士法の骨格が形成された。
 弁理士の業務は、現在の弁理士法に第4条、5条、6条および6条の2によって規定されており、第56条2項に弁理士会の目的を規定している。
 これらの規定には弁理士及び弁理士会が、弁理士業務の改善進歩を図るために政治活動(いわゆるロビー活動)は規定されていない。
 弁理士および弁理士会は、当然の如く弁理士業務の改善進歩を図るための活動を日常的に行わなければならない。その理由の一つは、弁理士法によって弁理士の存在があるが、法改正によってその身分は安泰でもなければ保証もされていない。その理由の二つは、日本には多くの国家資格があり(アメリカは弁護士と会計士のみ)業際を巡ってしばしば衝突が起こる。従って、自らを護り、延いては知的財産の発展に資するために、絶えず弁理士法改正および工業所有権法の改正を重ねる必要がある。そのために弁理士会が行い得ないロビー活動が出来る別の組織が必要になる。


【弁政連誕生】

 昭和49年(1974年)11月に上記の必要性に鑑みて、弁理士会の斡旋決議によって日本弁理士政治連盟(以下「弁政連」という。)が設立された。場所は日比谷の松本楼であった。初代会長に福田信行弁理士(昭和47年度弁理士会会長)が就任されたが、当時の弁政連は任意加入で380名(弁理士会会員1800余名)の発足となった。


【主な活動】

 弁政連結成翌年の昭和50年には自民党商工部会長の武藤嘉文議員をはじめ9名の国会議員と懇談会を開催して、特許法の一部改正を働きかけた。
 更に同年にはPCT批准に伴う弁理士法改正や、発明学会の特許管理士の国家資格化が問題となったが、これに関しては当時の弁政連が全力で対応した。

(1)特許管理士の国家資格化問題
 豊沢豊夫氏が主宰する発明学会が大量の特許管理士(10万人と推測された)を誕生させ、弁理士法違反に該当する行為をしばしば行った。また発明者に対して誤った指導と詐欺まがいの著作権登録を主たる業務とした。「弁理士に高額な出願費用を払うことなく、1万円で著作権登録すれば発明が保護される」というキャッチフレーズで10万人の特許管理士を誕生させた。そして特許管理士協会を設立して、猛烈な政治活動を科学技術庁に働きかけて、特許管理士の国家資格化を目論んだ。
 弁政連も、国民に紛らわしい団体を国家資格化しないよう国会議員に働きかけて、資格化寸前で阻止することが出来た。これが阻止できなければ10万人の前に弁理士会が埋没して、弁理士業は成り立たなくなっていた。

(2)ペーパレス化に対する要望
 昭和60年代に入り、特許、実用新案、意匠、商標のそれぞれの出願件数が飛躍的に増加し、特許庁がパンク寸前に追い込まれた。
 なにしろ特実意商併せて1年間に90万件を超える出願(審判等の書類も含む)になろうとしていた。一件の書類の厚みが5ミリとすると、45万センチ=4千5百メートルになる。毎年富士山より高い書類が特許庁に担ぎ込まれることとなり、遂に世界に先駆けてペーパレス出願が導入された。各事務所は1000万円近いワークステーションを設置する必要に追い込まれた。
 多くの特許事務所は高額な設備を設置出来ない状況であり、ペーパーの出願も同時に受理されるように政治家を通じて特許庁に働きかけた。その結果、データエントリーフィを支払うことによってペーパー出願が維持された。

(3)原則加入制度の導入
 平成4年から5年にかけての弁理士総数は3500余名であるにもかかわらず、弁政連加入者は全弁理士総数の4分の1にも満たない800人程度であった。これでは政治家に対しても強い力に成りえず、弁政連の会員を増やすために、いわゆる「原則加入」制度(弁理士会の総会決議)を導入した。この結果、全会員の8割を超える会員3093名が弁政連会員になった。

(4)特許庁の独立行政法人化阻止
 平成9年、突然、特許庁の独立行政法人化(エージェンシー)が浮上した。時の政府委員の一人が特許権付与なんか国が直接行わなくても良い、と言い出したのに呼応して、自民党の重鎮であった武藤嘉文衆議院議員がイギリスの例(イギリスは失敗した)を引き合いに出したのが発端のようだ。
 時の特許庁長官であった荒井寿光氏から弁理士会に対して完全阻止に動いてほしい、旨の要請があり、弁政連は経済産業省の考えをヒヤリングした。経産省は特許権のように対世的権利は、国家が付与すべきであり、独立行政法人には馴染まない明快な考え方をしていた。
 弁政連は政治家をはじめ各界に働きかけて、一大キャンペーンを張って、特許庁の独立行政法人化を阻止することができた。この事は今でも特許庁に感謝されている。
 特許庁が独立行政法人化していたら、そこにぶら下がっている弁理士は国家資格者で無くなる恐れもあった。

(5)自民党に「知的財産制度に関する議員連盟」が発足
 平成10年12月、自民党所属の衆参国会議員91名の賛同を得て「知的財産制度に関する議員連盟」が発足した。会長に与謝野馨通産大臣、会長代理に保岡興治衆議院議員、幹事長に甘利明労働大臣、最高顧問に梶山静六衆議院議員が就任され、自民党を中心とする弁理士政治連盟の活動が政治と一体的に動ける態勢が整った。
 この年、郵政政務次官佐藤剛男衆議院議員へ強く働き掛けたことにより、当時、困難だと言われた弁理士制度100周年の記念切手を発行することができた。
 また、その翌年の平成11年2月には、民主党の大畠章宏衆議院議員に強く働きかけ、「知的財産戦略小委員会」を発足させることができ、会長に大畠章宏衆議院議員が就任された。

(6)知的財産高等裁判所創設を要望
 平成10年、自民党司法制度調査会の保岡興治衆議院議員に、米国のCAFC(連邦巡回控訴審裁判所)のような裁判所が必要な事をアピールした結果、その年の6月には、知的財産高等裁判所が必要なことを示した自民党司法制度調査会の報告書が採択された。
 平成14年度には自民党司法制度調査会で国会議員数十名の前でプレゼンを行い、東京・大阪の両都市に知的財産高等裁判所の創設の必要性を訴えた。結果は東京のみに設立されたが、それで充分機能することと思われたので、早急に設置されることを要望した。

(7)特定侵害訴訟代理権の獲得
 弁理士の新たな業務として、知的財産権侵害訴訟代理権の獲得がある。本会が弁理士法改正に動いたが、それを阻止しようとする弁護士会の壁は厚く、とても代理権獲得は無理だと思われた。弁政連は政治家の協力を得て、弁護士・弁理士共同代理の方向で成立を図るべく可能性を模索した。結果は共同代理だけではなく、共同受任、共同出廷という厳しい条件付きとなったが、長年の弁理士の夢であった侵害訴訟の代理権獲得ができた。付記弁理士の特定侵害訴訟代理がそれである。問題は付記弁理士以外の弁理士が代理権を獲得できなかったことだ。

(8)知的財産基本法の成立
 我が国には知的財産に関する統一した法律が存在しないことから、弁政連が国会議員に働きかけて「知的財産基本法」の制定に向けて全力投球した。その結果、平成14年に議員立法によって制定されたが、この法律が制定されたことにより、知的財産制度が一気に国会議員の間で注目の的となった。

(9)自民党に「弁理士制度推進議員連盟」が発足
 平成17年には念願であった「弁理士制度の改革推進及び地方展開に関する議員連盟」(弁理士制度推進議員連盟)の臨時総会が開かれて、中川秀直衆議院議員が会長に選出され、平成22年に同議員が政界を引退されるまで会長を続けられた。

(10)民主党に「弁理士制度の改革推進に関する議員連盟」が発足
平成22年4月、民主党の古川元久内閣府副大臣と会談し、要望3点を提出した。
①弁理士試験合格者大幅増員の見直し、②特許パック料金制度反対、③外国法事務弁護士の法人設立容認反対 を申入れた。
 同年5月弁政連の働きかけにより民主党に「弁理士制度の改革推進に関する議員連盟」の臨時総会が開催されて、鹿野道彦農水大臣が会長に選出された。

(11)外国法事務弁護士法人等に関する法律案の反対運動を展開
 平成23年9月、外国法事務弁護士法人等に関する法案は、弁理士業務に重大な影響を与えるだけでなく、特許制度を利用する産業界にも影響があるので反対を表明した。特に外国法事務弁護士と日本の弁護士が共同でつくる混合法人は特許出願の代理業務を容認することになるので、自民党、民主党、公明党に対して反対を表明した。特に平岡秀夫法務大臣にも強く反対を表明した。そしてその年の12月の第3回民主党知的財産制度改革推進議員連盟の総会において、法務省は外国法事務弁護士の法人化に対し、混合法人( いわゆるB法人) の法案提出を断念し、外国法事務弁護士だけで構成する、いわゆるA法人のみを法人化する法律案提出を表明するに至る。その後、第180回国会に「外国弁護士による法律事務の取扱いに関する特別措置法の一部を改正する法律案」として提出されたが、継続審議となり第181回国会で審査未了、廃案になった。

(12)弁理士法に「使命」条項と「知的財産に関する専門家」が盛り込まれた
 「使命」条項と「知的財産に関する専門家」が今年度の弁理士法改正で規定された。しかし、そこに至る過程で極めて困難な状況が発生した。日本弁護士連合会の知的財産関係の部会から、同改正案に反対で、特に「知的財産に関する専門家」について、強力な反対が表明された。これには特許庁も困ったけれども、反対の理由は「知的財産に関する専門家」を標榜するには、民法、民事訴訟法、商法から独禁法に至るまで、関係法規すべてを理解していないと専門家を標榜するには危険過ぎるというものだ。
 この点については、自民党、公明党、民主党の議連の先生方、特に自民党の保岡興治知的財産制度調査会会長や二階俊博弁理士制度推進議連会長に大変なご尽力を賜り、最終的には、上記の通り「知的財産に関する専門家」の文言を入れた状態での改正を実現できた。

(13)行政書士法改正法案反対運動を展開
 弁理士会、弁護士会、司法書士会、社会保険労務士会が反対運度を展開したにもかかわらず、行政書士連合会は、猛烈に政治家へのロビー活動を展開し、また有力政治家を使って、行政不服申立手続の代理権を獲得した。
 弁理士会をはじめとする士業の政治力は、行政書士連合会の政治力に比して脆弱である。弁理士会は、今後もっと積極的にロビー活動を展開しないことには、行政書士連合会の次なるターゲットを阻止することが困難である。

以 上



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