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弁政連フォーラム 第316号 令和元年6月15日

保岡興治先生のご逝去を悼む

元日本弁理士会会長 元日本弁理士政治連盟会長 古谷史旺

元日本弁理士会会長
元日本弁理士政治連盟会長
古谷史旺


我が国の知的財産制度の発展に大きく貢献された保岡興治先生がご逝去された。保岡先生の偉大な足跡を辿ることで、哀悼の意を表したい。

(1)1997年11月18日に自由民主党の政調副会長兼司法制度特別調査会会長であられた保岡先生を自民党本部に訪ねたとき、日本弁理士会の会長は田中正治氏であり、日本弁理士政治連盟の会長は私であった。
私どもは、政府が推進する5大改革に司法改革が欠落していることを指摘し、日本の経済を再生させるために知的財産権制度の強化を図る必要性を訴え、併せて迅速な知的財産権の紛争処理の観点から、司法改革を採り上げるよう進言した。 保岡先生は、司法制度特別調査会で「司法制度改革の基本方針」を作成中であり、司法改革の推進を約束された。

(2)1998年6月16日付で自由民主党が発表した『司法制度特別調査会報告』-21世紀の司法の確かな指針-の中で、“弁護士と、司法書士、弁理士、税理士、行政書士などの隣接法律専門職種との間の協力関係やその在り方等について検討される必要がある。
特に知的財産関係訴訟などの専門技術化、国際化等が著しい紛争事件については、専門家の活用、集約的処理態勢の拡充等の方策が国際的な水準に立った観点から検討されなければならない”と、私どもが期待した文言が盛り込まれた。これは保岡先生のお陰である。

(3)2001年に小泉純一郎氏が内閣総理大臣に就任したとき、私どもは、国会における所信表明演説で、閉塞感が漂う我が国の産業・経済を抜本的に立て直すため、知的財産の創出、保護と活用を、国を挙げて取り組む課題として国策にした「知財立国」を宣言されるよう、保岡先生と知的財産議員連盟の会長をされていた甘利 明衆議院議員に働きかけ、それが2002年2月4日に行われた小泉純一郎首相の国会における所信表明演説で実現した。
保岡先生と甘利議員、お二人の強い力添えがあって、その後、様々な「知財立国」へ向けた動きが加速された。

(4)小泉純一郎首相の国会における所信表明演説のあと、直ちに「知的財産戦略大綱」が策定され、これに基づき2002年12月に「知的財産基本法」が制定された。これは、知的財産の創造、保護及び活用に関する施策を集中的かつ計画的に推進することを目的とし、知的財産の取り扱いに関する国、地方公共団体、大学等及び事業者の責務等を明確化したほか、内閣に「知的財産戦略本部」を設置し、知的財産の創造、保護、活用及び人材の確保に関して施策を行うことを明記している。
内閣に設置された「知的財産戦略本部」は、本部長を小泉総理自らが務める錚々たる布陣であった。この「知的財産戦略本部」は、2002年から毎年「知的財産推進計画」が策定され、今日も続いている。
この「知的財産基本法」の制定と「知的財産戦略本部」の設置に対し、保岡先生は中心的な役割を果たされた。

(5)2005年4月1日に知的財産に関する事件を専門に取り扱う東京高等裁判所の(裁判所法に基づかない)特別の支部としての位置付で、「知的財産高等裁判所」が設立された。
私どもは、知的財産権訴訟の結審が諸外国に比べて極端に遅いのは、技術に習熟した専門の裁判官が少ないからであり、アメリカの「連邦巡回区控訴裁判所」(CAFC)に倣って「特許裁判所」を創設すべきことを求めてきた。
このことに関し、保岡先生は深いご理解を示され、自由民主党を初めとする国会議員、法務省、最高裁判所等などに強く働き掛け、「知的財産高等裁判所」の創設に繋げて頂いた。
裁判官出身の保岡先生でなければ、到底成し遂げられることではなかった。現場にいた私の率直な感想である。 
このように保岡先生は、我が国の知的財産制度の発展に大きく貢献されて来られた。重篤な病に侵されながらも金曜日に地元の鹿児島に戻り、月曜日には東京に戻り、様々な要職を全うされて来たことは、夙に有名である。
保岡先生は、5月11日が誕生日で満80歳を迎えられる。その直前とも言える4月19日にご逝去された。
亡くなられる二日前までお元気に話されていたとお聞きしている。それを思うと、誠にもって残念無念である。

合掌

議員会館にて(2014年)

議員会館にて(2014年)

日本弁理士会及び弁政連役員との懇談会(2014年)

日本弁理士会及び弁政連役員との懇談会(2014年)

この記事は弁政連フォーラム第316号(令和元年6月15日)に掲載したものです。

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